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エピローグ 柳本凛による報告書
-The memory of A.Minatsuki-

 今回私が担当した事件、『河上圭一、ならびに他研究員とレガシーの実態調査、 および先人物の監視、拘束』ついては、先に提出したレポート GJ72080-Rev7 に記した通りである。 その調査の課程で、必然的に接触することになった水奈月遥歩という人物に関する記録を、 ここにまとめる。 これは単に、時が経って記憶が薄れたとき、 水奈月遥歩という存在を正しく脳裏に蘇らせるため、 また当時起きた不可解な事件について記すもので、 父やFBI情報部に提供する資料ではない。

 まず初めに、私のことを書いておこう。 私、柳本凛は、警察庁に入るため高校を中退、アメリカへ二年間の留学をすることになる。 FBI情報本部に所属する父は、特別な大学検定を受検させ、ハーバード大学へ飛び級することになる。 修学の後、私はFBI情報本部第一指揮下において、父の助手という形で仮捜査を行うことになる。 普通飛び級で留学した、まだ未成年の娘をFBI監視下に置くことはあり得ない。 私の事例が、歴史上初めてのことだったらしい。
 父は私に現在自分が調査している、通称『レガシー』と呼ばれる人体複製実験に関して、 日本での調査を指示した。 身辺調査ならまだしも、監視、拘束まで指示するのは、 いかに父が私に信頼と期待を寄せているかを表している。 私はその父の期待に応えるべく、二年ぶりに日本へ帰朝する。
 私は他人との付き合いが苦手だった。 幼い頃の些細な出来事がトラウマになっており、それ以来、他人を信用することができなくなっていた。 父が簡単にまとめてくれた資料によると、 レガシーの第一人者、名を河上圭一といい、その同居人である水奈月遥歩、以下遥歩と読み替えるが、 その年から河上圭一助教授を務める大学へ入学するとのことだったので、 私にまずは遥歩と接触をとり、親しくなってから河上圭一の身辺を調べることを勧められた。 ただ、前述の通りに私は他人との関わり合いが苦手だったので、最初は気乗りがしなかった。 ましてや、自分から他人へ近づくなど、今までで一度もなかった。
 最初に遥歩と言葉を交わしたのは、入学式初日の、学部ガイダンスの日だった。 写真は持っていたので、探すのは容易だった。 第一印象は、おっとりしていて邪気のない少女、といったところだった。 浅すぎず、そして深く付き合いすぎないよう、ある程度距離をとって接するつもりだった。
 だが、遥歩の性格は、私が今まで見てきた誰よりも純粋で、思いやりがあり、 優しかった。そんなところに、私は引き込まれたのだろう。 最終的には私から接するくらいに、遥歩のことが好きになっていた。 こんなことは今までになかった。そういう点では、私の人生観を変えた、偉大な人物だったと言える。
 もっとも、私の使命は遥歩と接触することではなく、 その接触を通して河上圭一に探りを入れることだ。 遥歩と仲良くなったおかげで、河上圭一にもあっさりアポイントがとれた。 河上圭一は同大学で助教授をしているため、平日は通常留守である。 そこを利用して、遥歩の家へ遊びに行ったついでに、 隙をついていろいろと調べまわった。 何度かそうしてみたが、家の中からはなにか手がかりになるようなものは発見できず、 代わりに何者かの血液や、用途不明の錠剤、そしてカルテのようなものがみつかっただけだった。
 身辺調査のレポートではないので、その辺は省略する。 ともかく、遥歩とはいい友人−恐らく私にとって、 初めての真の友人といえるだろう−になることができた。 レガシーの調査のあとも、大学を出たあとも、友人でいたいと思っていた。

 そんな中、第四学期の十二月末日、悲劇が起こる。 遥歩と河上圭一の遺体が、自宅の出窓付近で見つかったと連絡をうけた。 奇妙なほど巨大な虹が、水平線の端から端まで架かる、不思議な朝だった。
 その日、連日寝込んでいた遥歩にたまたま電話をかけると、 予想に反して警察が出た。 県警には私がレガシーの調査で日本にきている若干十九歳の少女、 柳本凛だということは伝わっていたので、 名を名乗った後、どうなっているのか簡単に説明を聞いて、慌てて駆けつけたのだった。
 私が到着したとき、あわや遺体が運びだされようとしているところだった。 突然現れた少女にその場にいた警官一同何者かという疑問を抱いたが、 署長だけには私の存在を伝えてあったので、 中に入ることはできたが、随分時間がかかってしまった。
 遥歩、そして河上圭一の姿を目にするまで、遥歩が死んだということが信じられなかった。 倒れていたのは間違いなく遥歩だった。顔も体もやせ細り、別人のようになっていた。 だが、不思議なことに顔には笑みが浮かんでおり、 満足しながら最後を迎えたようにみえた。 そして、右手に握っていた一輪の花。 鑑識に、この花は最初から持っていたのかと聞くと、そうだいう答えが返ってきた。 この花の意味するものは未だに解らない。 ただ、死の直前まで握りしめていたところをみると、 遥歩にとって大切な何かであったことは間違いないだろう。 ただ、その花自体も力なくしおれていて、まるで死期の遥歩の生き写しのように思えた。
 疑問点はいくつも残る。まず死因だが、遥歩の方は免疫不全による細菌の繁殖で、 ヘモグロビンの数が大きく減り、極度の貧血状態から死に繋がったと、検死結果がでている。 河上圭一のほうだが、私はこの事件の後に、 先日車の衝突事故に遭った片方が河上圭一だということを知った。 そして、検死の結果、なんと三日前にはすでに死んでいたということが判明した。 これを受けて病院側に真偽を確かめたところ、 担当医、看護師、それに仲間の看護師からも、事件当日まで生きていたという証言に矛盾はなく、 かくして死のタイムラグの謎も迷宮入りとなった。
 そして、病院内でも、異常な事態が起きていた。 事件の日の夜明け頃、突然遥歩が河上圭一の病室へ窓を破って侵入し、 河上圭一を抱えて羽の生えた馬、 いわゆるペガサスにまたがって、夜の空へ消えていったというのだった。 何をばかなと聞いていたが、確かに病院で寝ていたはずの河上圭一が自宅にいるのは不思議だ。 おまけに、遥歩はあの日、一人で病院まで行く体力があったとも思えない。
 驚くべきことはまだある。遥歩が病室へ侵入してきたとき、 遥歩が叫ぶと部屋のいたるところから無数の茨が伸びてき、 遥歩を止めにかかった医師に巻き付いて失神させたというのだ。 話を聞いてすぐに病院へ赴き、調べたが、 その場にいた看護師の話によると、 みなが茨のツタをはがそうと四苦八苦していると、突然ふっと消えてしまったらしい。 巻き付かれた医師は出血多量とショック症状で一時危篤状態になったが、 今は回復しつつあるという。 実際にその医師にあって話を聞くが、恐怖により頭がいかれたのか、それとも何も覚えていないのか、 何を聞いても意味不明な答えが返ってくるだけだった。
 遥歩達が発見されたのは、病院がすぐに警察に連絡し、 家宅捜索をしようとドアを蹴破って中へ入った時だった。 当然、ペガサスはおろか、その痕跡さえも見つからなかった。 ただ、出窓は開け放されていたらしい。
 結局、遥歩の死の謎は何一つ解けず、私は最愛の友人を無くしただけだった。
 河上圭一の私物のノートパソコンから、『遥歩へ』という名前の文書が見つかった。 パスワードがかかっていたが、特殊捜査班に解かせた。 パスワードは『alice』だったそうだが、このアリスが意味するものも解らない。 そして、ファイルは存在するのに、今度は中のデータを読むことができない。 特殊捜査班は、ディスクに問題があるとみて、 精密な修理を重ね、なんとか読み取ろうと奮闘していた。 だが、私はそんなことをしても無駄なように感じた。 恐らく、私たち常人には、これ以上踏み込んでは行けない領域なのだ。 この不可解な事件自体、何か非人道的な、 神秘の力によって作られているような気がしてならなかった。

 河上圭一の死によって、私の本来の使命は未完に終わった。 ただ、その課程で、父が追っていた犯罪グループの一員、レベッカの拘束に成功した。 日本で拳銃を持つことは認められていたが、使うつもりはなかった。 しかし、不意なことからレベッカに目をつけられ、仕方なく使用してしまった。 これが最初で最後だ。
 レベッカの逮捕、そして衝突事故によるアイバーの死−これは公にはされず、 一部の幹部級のみに情報が与えられた−によって、日本に潜入していたエージェント二人をつぶした。 この功績で、私はFBI情報本部へ正式に招待されたが、 心の整理がつかなかったためにそれを拒否し、日本に戻って警察庁に勤める傍ら、 作家として生きる道を選んだ。
 遥歩は生きていたら今頃何をしていただろう。 遥歩も私と同様、ファンタジー世界が好きな少女だった。 もしかしたら、そのファンタジー好きの性格が、 あの不思議な事件を招いたのかも知れない。
 もうすぐ遥歩の命日。あれから丁度一年経つ。 親類が見つからなかったため、墓は私の家の資金で立てた。 父も母も、今までろくに友人一人作らなかった私が、遥歩のために墓を建てたいなどと言うと、 金銭云々より娘の気持ちを優先してくれ、そこに至った。
 命日には毎年墓参りにいくつもりだ。 私の中の遥歩は、いつまでも色あせることなく、遠くから私を見守ってくれることだろう。 親愛なる遥歩、どうか安らかに眠って欲しい。



 電車で二駅渡って、街へ出た。 もう『今年』も数日で終わり。街はにわかにあわただしく、そして寂しげだった。 そんな寂しげな空気を楽しむかのように、静かに粉雪が降り続いている。 私は傘を開き、墓地へと歩み始めた。
 これで遥歩の墓参りに来るのは五度目となる。 最初の墓参りのときに、私の出した初めての単行本を、 遥歩に聞いて欲しくて、墓の前で朗読した。 それからは、その一年のうち、自分でもっとも納得のいく一作品を朗読するようにしている。 天国の遥歩は、それを聞いて楽しんでくれているだろうか。想像の域でしか答えがでない。
 河上圭一の墓も、遥歩の墓の隣に建てた。遥歩一人だけでは寂しいだろうし、 遥歩が河上圭一に好意を寄せていたのは、私も知っていたからだ。 二人の墓の手入れをするのは私しかいないので、 一年来ないと荒れ放題になっている。 ざっと掃除して、持ってきていた今年のベストセラー、『雪と時計と魔法使い』を朗読した。 遥歩の好きそうなファンタジー小説だ。きっと楽しんでくれたことだろう。
 読み終え、また来年来ることを約束し、踵を返してその場を去った。 うっすら積もった地面に、小さな私の足跡だけが残っている。 それを逆に辿り、出口へと向かう。
 傘で前を隠していたため、墓地の入り口であと一歩で人と接触しそうになる。 慌てて詫び、そのまま墓地を後にした。 振り返ってみると、背の高い女性と、少女の二人の姿が見えた。 この寒い中に良く来るなと思っていると、次第に少女が誰かに似ている気がしてきた。 誰に似ているかは思い出せない。やがて角を曲がって、二人の姿は見えなくなった。 私も再び歩き始め、自分の足跡を辿って駅へと向かった。



 「さ、着いたわよ。」
今野先生は手を繋いでいた少女に言った。 少女はあまがっぱのフードをめくり、二つの墓石を見つめた。
「こっちは、だれの?」
「こっちは、大野君の。おにいちゃんのよ。」
「じゃあこっちは……」
今野先生は少し黙ってから、応えた。
「……こっちは、もう一人のあなたのよ。」
一陣の風が吹き、今野先生の持っていた傘が煽られた。 だが、少女は微動だにせず、わたしの墓石を見つめていた。
「彼女も……もう一人のあなたも、辛い人生を送ったのよ。 でも、きっと最後は幸せになれた。 あなたは、もうひとりのあなたの分まで、幸せに生きなければいけないのよ。」
「でも、おにいちゃんはもういない。」
「確かに、大野君ももうこの世にいない。けど、 あなたはこれから色々な人と出会って、また新しい幸せを見つけることができるわ。 あなたには未来があるのだから。」
今野先生はバッグと傘を片手に持ち、空いた手で少女の頭を優しくなでた。 少女も優しく微笑む。
「そうだね。わたし、幸せになる。」
「そうね。さ、寒いから早くお参りしちゃいましょう。」
少女は小さな手を胸の前で合わせ、瞳を閉じてじっと何かを祈っていた。 今野先生も自分の合掌が終わった後、それをじっと眺めていた。
 やがて少女は目を開き、今野先生の顔を見た。その表情は明るく、 ずっと昔に見たわたしの笑顔とぴたりと重なった。
「さ、行きましょう。長くいると体に障るわ。」
今野先生は少女の手を取って再び歩き出す。少女は一度だけ墓石を振り返り、 小さな声で何か一言囁いて、再び歩みを始めた。

−完−

第九話

あとがき